安倍昭恵  遠州流  家元

 

小堀 ポーランドの国会議事堂でお点前を披露したんですよ。
安倍 お茶をもっと世界に発信したいですね。

■■ 「綺麗さび」

安倍 来年一月二十五日(現在は上映)から『父は家元 』というドキュメンタリー映画が上映されるそうですね。

小堀 私の日常生活に三年近く密着取材したものです。茶道宗家の「家元」の暮らしは一般の方々にとっては謎に包まれたものでしょうから、「家元」とは一体どういうことをしているのかを知っていただければと思っています。

安倍 流祖の小堀遠州は千利休とは違った流派なんですか。

小堀 下剋上の戦国時代が終わりを告げ、世の中が安定と平和を求めていた時期に活躍したのが遠州です。海外にも茶道具を注文したり、和歌やお香を取り入れたお茶会をしたり、茶道への入口をたくさん作って、客観性を持たせ、分かりやすくしたのが遠州なんです。

 茶道のお点前は、まったく動かないわけではなく、体は常に動いています。でも激しい動きではなく、静かな動きであって、それが人の心を穏やかにします。

 遠州流の一番の特長は「綺麗さび」と呼ばれています。茶道でのわびさびというのは究極まで無駄をそぎ落とした美ですが、それはその道を極めた人、達人の領域でわかる主観性の強いものです。その極まって無駄のなくなったものに、艶を与えた人が小堀遠州だと思います。

 遠州の茶会では小間と呼ばれる四畳半以下の小さな空間や、八畳や十畳といった広間や書院などの多くの部屋を使って、場面を転換しながら客をもてなしていました。まずは小間で旧来のお茶会をして、別の部屋に移動してからは茶道が確立する以前の平安朝の雅の世界を取り入れて融合させてみたり、あるいは古い道具にとらわれず新しいものだけを取り合わせたお茶会をするなど、茶道を総合芸術の域にまで引き上げていきました。そういう点が利休とは違ったお茶です。

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安倍 家元は何世ですか?

小堀 私は十三世です。

安倍 小さいころから、ずっとお茶をされていたんですか?

小堀 茶道の場合は歌舞伎やお能のように特別に子供の役がないんです。お点前は老若男女問わず同じですから。小さい時は、かたちよりも、まずお客様にお運び≠「たします。茶道で大切なのは、主客の心の交わりですから、まずはお客様と一番接することから学んでいくわけですね。その姿を見たご婦人たちが「かわいいわね」と言ってくださって、中にはお年玉をくれる人がいたりして、そういう人のところにはお運び≠ヘ欠かさない(笑)。

安倍 あはははは、「この人はくれるぞ」って(笑)。

 

小堀 最初からお稽古をするというよりは、その場≠ノいることが大切でした。

安倍 自然とお客様の前に出ることを身につけられたんですね。

小堀 ええ。場≠感じるということは、一番大切なことだと思います。

安倍 ご兄弟はいらっしゃるんですか? 

小堀 弟がおります。途中までは普通の会社員という違う世界にいたんですが、茶道の世界に入り、私をサポートしてくれています。

 実は私の父にも弟がいて、兄弟で宗家の仕事をしていました。父は戦争に学徒出陣で出征し、シベリアに抑留されていたんです。その間、家の中では「もしかすると跡取りがいなくなるかもしれない」と危惧していたので、叔父は仕事をやめることになりました。父が無事帰ってきて、生還を祝うお茶会をした晩に、叔父が両親と父の前で「今日から私はお兄さんとの縁を切ります。

 弟という立場ではなく、一茶人としてお兄さんを支えていきます」と宣言したそうです。非常に厳しいですが、大変な覚悟だと思います。私と弟はそこまでは割り切っていないですけれどね。

安倍 シベリアではたいへんな思いをされて帰ってこられたんでしょうね。

小堀 寒い中での容赦なき強制労働をし、ロクな食料も与えられないし、多くの捕虜はだんだん精神的におかしくなっていく。でも、父の場合は労働している合間にたまたま極寒のなかに一輪の花が咲いていたのを見たそうです。

 だんだん自暴自棄になってきたときには、その花を思って「こんな小さな花でも、この極寒の中で小さな生命を輝かせている。耐え忍んで、日本に帰るんだ」と気持ちを奮い立たせていたと父から聞いています。

安倍 お茶をやっていたからこそ、精神的にも強かったのかもしれませんね。

 

■■ お寺で修行

安倍 家元はいくつくらいからお点前をなさっていたんですか。

小堀 本格的にお点前に取り組んだのは、大学を卒業してからですね。その前に一年お寺に行っていました。

安倍 お寺!? 修行のためですか。

小堀 茶道は禅宗と深いつながりがあります。子供のころから、小学校・中学・高校の卒業といった節目のたびに父から「一度お寺に行って修行してきたほうがいい」と言われていました。最終的には大学卒業時に、あらためて「お寺に行くべき」と言われたんです。

家元

父は大学の途中で戦争にいって生死の境をさまよった後に帰還し、学生気分などは全く無く、精神的けじめはついていたんですが、私の場合は大学を出て、いずれ間もなく「若宗匠」と呼ばれるようになる。「それではダメだ、きちんとしたけじめが必要だ」ということでお寺に修行に行きました。

安倍 小堀家の菩提寺に修行に行ったんですか? 元々は京都なのでは……。

小堀 京都の大徳寺の塔頭に、孤篷庵という遠州公がつくったお寺があります。また、江戸にも大徳寺出張所の格式のお寺があります。練馬にある広徳寺がそれにあたり、東京の菩提寺になっています。後に大徳寺の管長になる雪底老師(臨済宗大徳寺派第十四代管長。福冨雪底)が広徳寺にいらっしゃったんですが、その方の師匠・以清和尚に付いて学びました。

安倍 お寺の生活はどんな生活なんですか。

小堀 夏や冬で異なりますが、朝は四時半から五時半くらいの間に起きます。

 早い! よく起きられますね。

小堀 初日、「何時に起きればいいですか」と質問したら、「私が起きたときに起きなさい」と言われました。

安倍 え!? 

小堀 それが禅宗の教えなんです。前の日は早く寝ないと起きられないので、夜八時くらいに寝ましたよ(笑)。寝ながら気配を探っていると、朝、和尚が布団をたたんだような音がして本堂に行ったら、お経をあげようとしているところでした。

安倍 「起きなさい!」とは言われないんですか。

小堀 言われませんよ。気配で察するんです。

安倍 すごい世界ですね。お友達と会ったり、お休みをとったりはしたんですか?

小堀 もちろんありませんでした。特に家に帰ろうとも思いませんでした。そういうことをしたら負けだと思って修行していましたから。母はときどき来ては和尚と会って、泣いて帰っていたようですけど。

安倍 ええッ!? なにがあったんですか。

小堀 知らず知らずのうちに失敗をしていることがあるんです。それを母が来たときに「おたくの子は何も知らないね」と和尚が言っていたようです。私はそう言われていることも、母が泣いて帰っていることも知らなかったのですが、後から隣のお寺の方に「最近うちの師匠の機嫌があまり良くないみたいなんです」と言ったら、教えてくれたんです。

安倍 直接言ってくださらないのはかえってつらいですね。

小堀 禅宗は不立文字(悟りは文字や言葉によることなく、修行、体験を積んで、心から心へ伝えるものだということ)の世界ですから。お寺での経験があったから、後に父の背中を見ながら学んでいくことの重要さを実感するようになりました。

■■ これこそが《おもてなし》

安倍 他の茶道の家元にお話をお伺いしたことがあったんですが、茶室の庭の葉っぱの一枚一枚までがきれいに拭かれているそうですね。これこそが日本のおもてなし≠ネんだなと感じました。他の国ではありえないような、隅々まで行きとどいた美しさがあります。

 お茶は日本文化の全てを内包していると思いますので、「クールジャパン」としてもっと世界に発信したいですね。家元は海外へもいかれるんですか?

小堀 この度の映画『父は家元』の中でも、ブダペスト(ハンガリー)とワルシャワ(ポーランド)での様子が出てきます。今年の四月にポーランドの山中誠大使と、ハンガリーの山本忠通大使に招かれたんです。

安倍 お二人とは親しいんですか。

小堀 ええ、私は毎年シンガポール国立大学日本研究学科の茶道クラブで教授をしています。稽古をつけることが中心ですが、講演することもあり、当時シンガポール大使だった山中さんと親しくなったんです。その山中大使がシンガポールからポーランドに異動されて、さらには親しくしていた山本大使がハンガリーにいくことになったので、東欧でも茶道の講演と茶会をすることになりました。両国とも三カ所ずつ、国会議事堂などでお点前を披露したんですよ。

安倍 国会議事堂! すごいですね。国会議員の方たちがお茶を召し上がったんですね。

小堀 日本の大使と、国会議長両方が主宰した茶会だったんです。そのとき印象的だったのが、お点前を終えた後、「私は小津安二郎など日本映画が昔から好きで研究している。ずっと日本の映画には独特の間があって、なぜあんなにゆったりしているのかがよくわからなかったけれど、今日あなたのお点前をみてわかった」とおっしゃってくださった方がいたんです。

 それで「茶道のお点前は、知らない人が見ても、そこになにか日本の良さを感じさせる発信力があるのだな」と再確認した次第です。

 その後、八月に日本とASEANの交流四十周年記念としてシンガポールの日本大使公邸でお茶会をさせていただいたときも、タイの大使が「ただお茶を飲むのではなく、お湯を茶杓で汲む動き≠見ながらいただくことによって、ものすごく穏やかな気持ちになるものなんですね」とおっしゃった。その通りなんです。

 茶道の所作は、それにとらわれすぎると非常につまらないものになりますが、本来は美しく、人の心を穏やかにするものなんです。

安倍 私の友人が京都でサロンを経営していて、外国人のお客様にお茶を点てておもてなしをしているんです。たまに、お茶のことは全然知らないんだけれども、ワーッと泣きだす方がいらっしゃるんだそうです。「ただ『おいしいお茶を差し上げたい』と思って、心をこめているだけなんだけれども、相手はそれを見て感動して涙を流す。お茶にはすごい力がある」と彼女は話していましたね。外国の方も日本人の精神世界に感応するものがあるのでしょうね。

小堀 静かなときと会話があるときとのメリハリがはっきりしていますし、明るさに関しても、お茶室は最初は暗くて、お茶をいただき終ると途中で簾を巻き上げていく。当然室内は明るくなり、緊張が解き放たれてゆきます。激しくはないけれども、ゆっくりと動きがあって、場面が転換していきます。静かにしていると集中力が高まりますが、それが極まったときにサッとお茶が出て、おいしくいただいた後に一気に色々な話が始まるというところに良さがあると思います。

安倍 特に外国の方は「話しておもてなしをする」文化ですから、シーンとすることは日常生活ではあまりありませんものね。特別な世界という感じがします。

 

■■ 「足をくずせ」という日本人

安倍 今年、私もポーランドのクラコフに行ったんです。ポーランドの若い女性たちが、お着物をキッチリ着てお茶を点ててくださったんですが、今の日本の若いお嬢さん以上に日本的な楚々とした美しさを持っていて、すごくびっくりしました。外国人であっても、それくらい日本の文化を理解してくださるんだなと感動しました。

小堀 日本人よりも日本人らしい方がいますよね。

安倍 「どうせ外国のお茶はなんちゃって≠ネんだろうな」と思っていたらとんでもない!

小堀 精神面から教えるんですよね。日本の場合は、精神的なことも教えますが、どうしても細かいテクニックがメインになりがちです。それは「日本人なんだからわかっているでしょう」という思いが根本にあると思います。ですが、海外の場合は、所作がどうのこうのではなく、「日本人や茶道の美しさはこういうところから生まれているんですよ」ということから教えるんですよ。

安倍 本来その教えが日本人にも必要なんですよね。日本人の若い人たちも、今までだったら分かっていたはずの日本の精神が分からないことが多くなってきているので、先生方にはその点から教えていただきたいですね。

小堀 外国に行ってお点前をするとき、道具の説明をしようとすると、主催している在住の日本の人から「どうせ分からないですから説明は必要ない」と言われたことがあります。でも、私は全部説明して、「トータルでこういうふうになっている」と分かってもらうようにしているんです。

安倍 分かる方はちゃんと分かってくださるんですよね。

小堀 お茶室でお点前をしても、同席の日本の方が、お客様にすぐ「足をくずしてください」って言うんです。だけれども、お客様たちは、「痛くても一回足を曲げて正座をしてみよう」と思っていらっしゃるんです。

 文化を理解し楽しむためには、まずその国の形を学びたいと。それなのに、日本の人が出鼻をくじいて「足をくずせ」と言ってしまう。そのやり方は違うんじゃないかと思います。

安倍 正座も出来ない若い子が多いでしょう。

小堀 そうですね。でも、出来る限りは座っていただくようにしています。というのは、物を見るとき、畳に座ったときの目の高さで美しいと思う物もあれば、少し目線を上げて見ると美しい物もある。物によって、美しいところは全部違うと思うんです。

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 そして、「この物が一番美しく見えるのは、こういう視線のとき」というのは、長い歴史の中で培ってきた美意識ですし、それを知っていただくための基本として座っていただいています。

 なぜかというと、小堀遠州や豊臣秀吉もこの角度で見たかもしれないと思うことによって、歴史上の人物が教科書の中ではなく、まるで同じところにいるように一瞬にして感じることが出来るからです。

 「これは遠州さんが持っていたお茶碗です」と言われると、回して飲んだときに、「もしかしたらここで遠州さんが飲んだかもしれない」と、唇が触れる一点で、四百年の歳月が一気に縮まるんです。

■■ 「先取り」と「名残惜しむ」精神

安倍 私たちの若い時はお茶やお華は花嫁修業で、結婚する前にみんなやっていましたが、今はいろいろな習い事がありますし、お茶を習う方も減っているのではないかなと思います。たとえば学校で必修にするとか、何か手を打っていかないと日本文化が継承されない時代になってしまったと思うのですが、家元はどう思われますか。

小堀 以前のように「当たり前にするお稽古事」としての側面は薄れてきていますが、だからと言って女性がされなくなったかというとそうではありません。みなさんお仕事をされていますので、気持ちをほっとさせるためだったり、あらためて日本のことを学ぶためだったり、「自分で選んで習いにくる時代」になっています。

 映画のなかでもお話ししていますが、人間の一生の中で大切なのは、情報が溢れるなかで、自分の時≠一瞬でも止められるかどうかなんです。今はITの世界で全てが先に行ってしまうので、ただ慌てて追いかけているだけの人生になってしまいがちで、人間の心は荒むばかりです。

 日本人は四季折々の季節感を大切にして日常生活を送っていました。ファッションでも食べ物でも、「先取り精神」を持っています。旬のものより少し先のものを「まだ早いですけれど」と言って出して、「いよいよ冬だなぁ」と感じたりする。

 でも、それだけではなくて、もうひとつ「名残惜しむ」という気持ちを持っていました。「先取り」と「名残惜しむ」精神の両方があるからこそ、人間の心はバランスが取れていたんです。でも、今はほとんど名残を惜しまないですよね。ひたすら追われて、どんどん心がすり減っていっているので、「名残惜しむ」という気持ちを大切にしたいし、それは「もったいない精神」にも共通しています。

 茶道は、常に新しいものを求めながらも、名残惜しむ気持ちもあって、両方を感じられる世界だと思います。こういう時代だからこそ、茶道を学ぶことによって、人間にとっての本当の幸せを見出すことが出来ると思いますね。

安倍 家元ご自身はどんなときに幸せを感じますか?

小堀 私は、お茶をお出しして、「おいしいですね」という一言を言っていただくときですね。たとえ家族であっても、お茶を差し上げるということは、相手はお客様≠ノなるわけですから、その方が「おいしい」と言ってくだされば幸せです。

「どんなに下手であっても、一所懸命人のために点ててくれたお茶をいただくのが大事だ」と父が言っているのを聞いたことがあり、当時は「自分が点てておいしい方がいいのではないか」と思っていたんです。でも、今は人のことを思って点ててくれたものを「ありがとう」と言っていただくことが大切あり、幸せなんだとつくづく感じますね。

安倍 素晴らしいお話をありがとうございました。

 

協力 ドキュメンタリー映画「父は家元」

撮影 淺岡敬史

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